Kanye Westの新作「The Life of Pablo」がついにリリースされた。僕はこの知らせをずっとずっと待ち望んでいた。リリースの知らせを聴いたのはアルバイトの休憩時間だった。休憩が終わり、残り4時間の仕事をこなし、お客さんに洗剤と漂白剤の違いを説明したりしながら、僕はずっとKanye Westの事を考えていた。バイトを終え、家に戻ってくる。日付が変わる頃、TIDAL経由で20ドルを払い、ダウンロードしたFLAC音源をフリーソフトのAudioGate(ライト版)に取り込み、ついに「The Life of Pablo」を聴いた。翌日は一時限から講義がある。間に合うためにはそれなりに早起きする必要がある。「一度だけ聴いたら寝よう」。結局、僕は午前1時30分にリピートボタンを押した。
今は講義を終えて、次の講義との合間にこの文章を書いている。多分、近いうちに、このアルバムについての文章を書くと思うけれど、このアルバムについて語るという事はすなわちポップ・ミュージックそのものについて語る事になる。凄く時間がかかるかもしれない。それでも、恐らく日本では1万枚も売れないであろうこのアルバムの良さをどうにかして伝えたい。何せ、2010年代に最も評価されたアルバムであり、僕が生涯ベストの一枚に挙げる2010年の「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」は、世界中で大絶賛されていたのにも関わらず、たった9000枚しかその年には売れなかったのだ。当時はまだ日本盤が出ていなかったとはいえ、首を傾げざるをえない数字だった。現時点でtwitterで様々なワードで検索をかけてみても、この新作を聴いている日本人の数は驚く程少ない。勿論、iTunesやApple Musicはおろか、Kanye West自身のWebサイトからも購入出来ないというリリース形態も問題なのかもしれないけれど、日本の音楽メディアがどこも現時点でリリースした事を伝えていない事も問題だろう。世界中が待っていたというのに。(この記事を公開した後にダウンロードが不可能となり、TIDALのみでの配信に移行した。つまり、2016年2月16日現在、「The Life of Pablo」は日本では聴けない状態になっている。なるべく早く日本でも聴けるようにしてほしい)
[2016/4/1 追記:公式ホームページからのダウンロード販売&Apple Music等での配信が開始。ようやく日本でも聴けるようになった!]
今朝、ふと冷静になって「もしかして僕が騒ぎすぎなだけなんじゃないか」という考えが脳裏をよぎった。「もしかしてリリースされた事そのものへの喜びが、過大評価を招いてしまっているのではないか。僕がただ単にKanye Westを好きすぎるあまり、盲目になってしまっているのではないか」。可能性はゼロではない。批判的な意見も見られるようになってきた。そこで、このアルバムを聴き直すことにした。...昨日聴いた時よりも圧倒された。やはり素晴らしいじゃないか!!
しかし、このアルバムの良さを伝える以前に、日本でのKanye Westの扱われ方を見てると、余りにも誤解されているのではないか、本当の凄さが伝わっていないのではないかと感じる。もしかして、ただのパーティ系のヒップホップアクトの一つとして片付けられているのではないか?ヒップホップというだけでスルーされているのではないか?だからこそ、今回は自分なりに、Kanye Westと向き合ってみようと思う。
2000年代以降、ヒップホップはポップ・ミュージックの世界に完全に定着し、現在も様々な才能が現れ、多くの音楽リスナーに親しまれている。Kanye Westもそんな才能あるアーティストの一人だ。Jay ZやNicki Minaj、Tyler, the Creator、Chance the Rapper、Future、Le1fなど現在のヒップホップ・シーンは新旧の才能が入り乱れていて本当に面白い。そして言い切ってしまうが、Kanye Westよりもスキルの高いラッパーや、良いリリックを書くラッパーは山ほどいる。そして、昨年大絶賛されたKendrick Lamarは、滅茶苦茶凄いリリックを書く超絶スキルのラッパーである。そりゃ評価されるって。明日発表のグラミー賞では一体何部門制覇するのだろう。
2015年作「To Pimp A Butterfly」より、"i"
Kendrick Lamarは優しい心と知性を併せ持つ優等生的な存在だ。一方、Kanye Westという男はまぁどうしようもないクズである。どれくらいクズかというと、2009年のMTV Video Music Awardsにて、最優秀女性アーティスト・ビデオを授賞した当時20歳のTaylor Swiftのスピーチに突如乱入し、泥酔しながら「この賞はビヨンセが獲るべきなんだ」と発言して、オバマ大統領から「Jackass(バカ野郎)」と呼ばれ、その後和解し、2015年の同アワードでは、Kanyeが功労賞を授賞した際のプレゼンターをTaylorが務めたのにも関わらず、新曲"Famous"でKanyeが「俺は今でもテイラーとヤリたいかもな なぜかって?俺があのビッチを有名にしたからさ」とラップして大炎上しているくらいにはクズである。とにかくKanyeは自分の事が大好きだ。ここまで自分大好きなやつを僕は他に知らない。前作の「Yeezus」では、その名も"I am a God"という楽曲で「俺は神だ」と宣言し、「だからさっさとクロワッサン持ってこいよ!!!」とラップしているくらいだ。神は意外と庶民的である。本日、Kanyeはやたらとツイートしているが、どうやら自身のファッション・ブランドに金を注ぎ込みすぎて多額の借金を背負い、Facebook創始者のマーク・ザッカーバーグに助けを求めているようだ。ここでも、「俺は現代のディズニーだ」と名言を残している。
そんなラップも上手いわけではない、人間としてどうしようもないクズの新作を、何故世界中の音楽リスナーが待望していたのか?それは、彼の作曲センスがただただ素晴らしいからである。もう才能の塊と言ってもいいだろう。そして、その音楽の中で、彼の過剰にも程がある自意識は、非常に重要な役割を担う。前述のTaylor Swiftとの一件以降、アメリカ中がKanyeを非難した。あらゆる方向から罵声を浴びせられる中、同時期に彼が崇拝していたMichael Jacksonが亡くなった。全てを失いかけ、限界まで追い込まれた彼が生み出したのが2010年の大傑作「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」である。
2010年作「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」
この作品は、世界No.1批評サイトのPitchforkで(2010年代の作品で唯一の)10点満点を獲得したのを筆頭に、その年の年間ベストを制覇し尽くし、誇張でも何でも無く「歴史的名盤」の称号を獲得した。この最早ヒップホップなのかどうかも良く分からない作品を単純に説明するのは不可能だが、自分なりにまとめると、「ポップ・ミュージックの縦軸と横軸を全て網羅した今まで聴いたことのない狂気的な音楽を、Kanye Westの分裂した自意識が丸ごと飲み込み、Kanye自らがそれを泣き叫びながら引き裂いている作品」が本作である。訳わからないだろうけど、実際そうとしか言いようが無い。一聴すると完璧なポップ・ミュージックだ。とても聴きやすい一枚でもある。しかし、美しい外見に惹かれ、深く覗きこめば、すぐに嘔吐したくなる程のグロテスクな内面が現れる。Kanye Westはこの作品で彼を取り巻くあらゆる批判を捻じ伏せ、音楽界の頂点に到達した。
2010年作「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」より、
"All Of The Lights ft. Rihanna, Kid Cudi"
図らずも2010年代のカオスの幕開けを告げた「My Beautiful~」から3年が経過して、待望論が巻き起こる中リリースされた作品が「Yeezus」である。「Yeezus」とは、「Jesus」とKanye Westの通称である「Yeezy」の融合。つまり神宣言である。この作品が登場した時、前作を期待したファンは大きな戸惑いを感じた。何故なら色彩の暴力とでも言うべき前作の作風は消滅し、極限までミニマルに抑制され、無駄が全て削ぎ落とされた音像、突如挿入される支離滅裂なサンプリング、そしてKanyeの絶叫にも似たラップで埋め尽くされていたからである。更にはジャケットまでもが極限まで無駄を削ぎ落としたものだった。プラケースに橙色のテープ。以上。
2013年作「Yeezus」
「My Beautiful~」は自意識に飲み込まれていたが、今作に通底するのは今にも爆発しそうな怒りだ。それは、今なお続く黒人への差別に対しての怒りであり、資本主義が支配する現代への怒りであり、自らを取り巻く状況への怒りだ。集団で騒がしく抗議を行うよりも、僅か一発の銃声を鳴らした方が圧倒的な恐怖となる。「Yeezus」はそんな瞬間が連続して訪れるような、再び驚異的な傑作となった。賛否両論こそ招いたものの、個人的には、「My Beautiful~」ほどではないにしても、他のアーティストには絶対作る事の出来ない、素晴らしい作品だと思っている。
2013年作「Yeezus」より、"Black Skinhead"
情報過多な「My Beautiful~」と、情報を削ぎ落とした「Yeezus」。音楽性は正反対の両作だが、「ポップ・ミュージックの究極体」という側面で見ればどちらも同じ事を表現していると言っても良い。だからこそ、ついにリリースされた新作である「The Life of Pablo」には否が応でも期待が高まっていたし、それは世界中の音楽リスナーにとっても同様だった。リリースに際してKanyeらしいゴタゴタがあったが、なんとかリリースされ、現在、凄まじい数の人々がこの作品を聴いている。作品についてはまだ数回聴いただけなので言い切る事は出来ないが、「My Beautiful~」、「Yeezus」に続き、聴き手側の価値観を根底から問いかける作品である事は間違いない。
2016年作「The Life of Pablo」
勿論、「My Beautiful~」以前の作品群も素晴らしい。1st「College Dropout」は、それまでJay-Z等のプロデューサーとして培ってきた類まれなる作曲センス、そしてちっともギャングスタではない彼自身のパーソナルな側面を世界に披露した見事なデビュー作であり、続く2nd「Late Registration」は1stの荒削りな側面を見事に研磨し、ポップ・ミュージックとしての純度を高め、Kanye Westがヒップホップ界の新たなヒーローになった事を告げた。3rd「Graduation」では、それまでのソウル/R&Bが主体となっていたサウンドから大きく歩みを進め、衝撃のDaft Punkサンプリング"Stronger"は、それまでの常識を覆し、ヒップホップに革新を与える事に成功した。しかし、輝かしいサクセスの流れから一転、4th「808's & Heartbreak」は、最愛の母を失った悲しみを乗り越えるために作られた、まさかの全編オートチューンの歌モノ作品である。4thに関しては特殊すぎるので評価が難しいが、他の作品はいずれも名作だ。単純に聴きやすいので、初めてのヒップホップの入り口としても最適だろう。
2007年作「Graduation」より、謎の日本語PVとしても知られる"Stronger"
まだまだ書けていないことは山程ある。彼の熱心なファンであれば、余りにも内容が表面的すぎると感じるかもしれない。ただ、今まで彼の音楽を知らなかった人が、この記事から僕が彼の音楽を好きな理由を少しでも感じてもらえたなら、そして彼の作品を聴こうと思ってもらえたら嬉しい。今回の「The Life of Pablo」は、2月11日に、自身のファッション・ブランドの発表会を兼ねた全曲試聴会として、ニューヨーク最大の会場であるMadison Square Gardenで解禁され、世界中に同時配信された。新作の試聴会をMSGで行うアーティストなんて、世界でもKanye Westくらいだろう。しかし、そんなとんでもないアイディアでも納得させるだけの力を、彼は持っている。
ところで、そんなKanye Westは、2020年のアメリカ大統領選に出馬しようとしている。一人のファンとして言わせてもらうが、そんな事になったらアメリカは間違いなく破滅するので、とりあえず音楽とファッションに専念していてほしい。
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