BLOG


 Kanye Westの新作「The Life of Pablo」がついにリリースされた。僕はこの知らせをずっとずっと待ち望んでいた。リリースの知らせを聴いたのはアルバイトの休憩時間だった。休憩が終わり、残り4時間の仕事をこなし、お客さんに洗剤と漂白剤の違いを説明したりしながら、僕はずっとKanye Westの事を考えていた。バイトを終え、家に戻ってくる。日付が変わる頃、TIDAL経由で20ドルを払い、ダウンロードしたFLAC音源をフリーソフトのAudioGate(ライト版)に取り込み、ついに「The Life of Pablo」を聴いた。翌日は一時限から講義がある。間に合うためにはそれなりに早起きする必要がある。「一度だけ聴いたら寝よう」。結局、僕は午前1時30分にリピートボタンを押した。

 今は講義を終えて、次の講義との合間にこの文章を書いている。多分、近いうちに、このアルバムについての文章を書くと思うけれど、このアルバムについて語るという事はすなわちポップ・ミュージックそのものについて語る事になる。凄く時間がかかるかもしれない。それでも、恐らく日本では1万枚も売れないであろうこのアルバムの良さをどうにかして伝えたい。何せ、2010年代に最も評価されたアルバムであり、僕が生涯ベストの一枚に挙げる2010年の「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」は、世界中で大絶賛されていたのにも関わらず、たった9000枚しかその年には売れなかったのだ。当時はまだ日本盤が出ていなかったとはいえ、首を傾げざるをえない数字だった。現時点でtwitterで様々なワードで検索をかけてみても、この新作を聴いている日本人の数は驚く程少ない。勿論、iTunesやApple Musicはおろか、Kanye West自身のWebサイトからも購入出来ないというリリース形態も問題なのかもしれないけれど、日本の音楽メディアがどこも現時点でリリースした事を伝えていない事も問題だろう。世界中が待っていたというのに。(この記事を公開した後にダウンロードが不可能となり、TIDALのみでの配信に移行した。つまり、2016年2月16日現在、「The Life of Pablo」は日本では聴けない状態になっている。なるべく早く日本でも聴けるようにしてほしい)

 [2016/4/1 追記:公式ホームページからのダウンロード販売&Apple Music等での配信が開始。ようやく日本でも聴けるようになった!]

 今朝、ふと冷静になって「もしかして僕が騒ぎすぎなだけなんじゃないか」という考えが脳裏をよぎった。「もしかしてリリースされた事そのものへの喜びが、過大評価を招いてしまっているのではないか。僕がただ単にKanye Westを好きすぎるあまり、盲目になってしまっているのではないか」。可能性はゼロではない。批判的な意見も見られるようになってきた。そこで、このアルバムを聴き直すことにした。...昨日聴いた時よりも圧倒された。やはり素晴らしいじゃないか!!

 しかし、このアルバムの良さを伝える以前に、日本でのKanye Westの扱われ方を見てると、余りにも誤解されているのではないか、本当の凄さが伝わっていないのではないかと感じる。もしかして、ただのパーティ系のヒップホップアクトの一つとして片付けられているのではないか?ヒップホップというだけでスルーされているのではないか?だからこそ、今回は自分なりに、Kanye Westと向き合ってみようと思う。

 2000年代以降、ヒップホップはポップ・ミュージックの世界に完全に定着し、現在も様々な才能が現れ、多くの音楽リスナーに親しまれている。Kanye Westもそんな才能あるアーティストの一人だ。Jay ZやNicki Minaj、Tyler, the Creator、Chance the Rapper、Future、Le1fなど現在のヒップホップ・シーンは新旧の才能が入り乱れていて本当に面白い。そして言い切ってしまうが、Kanye Westよりもスキルの高いラッパーや、良いリリックを書くラッパーは山ほどいる。そして、昨年大絶賛されたKendrick Lamarは、滅茶苦茶凄いリリックを書く超絶スキルのラッパーである。そりゃ評価されるって。明日発表のグラミー賞では一体何部門制覇するのだろう。

2015年作「To Pimp A Butterfly」より、"i"

 Kendrick Lamarは優しい心と知性を併せ持つ優等生的な存在だ。一方、Kanye Westという男はまぁどうしようもないクズである。どれくらいクズかというと、2009年のMTV Video Music Awardsにて、最優秀女性アーティスト・ビデオを授賞した当時20歳のTaylor Swiftのスピーチに突如乱入し、泥酔しながら「この賞はビヨンセが獲るべきなんだ」と発言して、オバマ大統領から「Jackass(バカ野郎)」と呼ばれ、その後和解し、2015年の同アワードでは、Kanyeが功労賞を授賞した際のプレゼンターをTaylorが務めたのにも関わらず、新曲"Famous"でKanyeが「俺は今でもテイラーとヤリたいかもな なぜかって?俺があのビッチを有名にしたからさ」とラップして大炎上しているくらいにはクズである。とにかくKanyeは自分の事が大好きだ。ここまで自分大好きなやつを僕は他に知らない。前作の「Yeezus」では、その名も"I am a God"という楽曲で「俺は神だ」と宣言し、「だからさっさとクロワッサン持ってこいよ!!!」とラップしているくらいだ。神は意外と庶民的である。本日、Kanyeはやたらとツイートしているが、どうやら自身のファッション・ブランドに金を注ぎ込みすぎて多額の借金を背負い、Facebook創始者のマーク・ザッカーバーグに助けを求めているようだ。ここでも、「俺は現代のディズニーだ」と名言を残している。

 そんなラップも上手いわけではない、人間としてどうしようもないクズの新作を、何故世界中の音楽リスナーが待望していたのか?それは、彼の作曲センスがただただ素晴らしいからである。もう才能の塊と言ってもいいだろう。そして、その音楽の中で、彼の過剰にも程がある自意識は、非常に重要な役割を担う。前述のTaylor Swiftとの一件以降、アメリカ中がKanyeを非難した。あらゆる方向から罵声を浴びせられる中、同時期に彼が崇拝していたMichael Jacksonが亡くなった。全てを失いかけ、限界まで追い込まれた彼が生み出したのが2010年の大傑作「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」である。

2010年作「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」

 この作品は、世界No.1批評サイトのPitchforkで(2010年代の作品で唯一の)10点満点を獲得したのを筆頭に、その年の年間ベストを制覇し尽くし、誇張でも何でも無く「歴史的名盤」の称号を獲得した。この最早ヒップホップなのかどうかも良く分からない作品を単純に説明するのは不可能だが、自分なりにまとめると、「ポップ・ミュージックの縦軸と横軸を全て網羅した今まで聴いたことのない狂気的な音楽を、Kanye Westの分裂した自意識が丸ごと飲み込み、Kanye自らがそれを泣き叫びながら引き裂いている作品」が本作である。訳わからないだろうけど、実際そうとしか言いようが無い。一聴すると完璧なポップ・ミュージックだ。とても聴きやすい一枚でもある。しかし、美しい外見に惹かれ、深く覗きこめば、すぐに嘔吐したくなる程のグロテスクな内面が現れる。Kanye Westはこの作品で彼を取り巻くあらゆる批判を捻じ伏せ、音楽界の頂点に到達した。

2010年作「My Beautiful Dark Twisted Fantasy」より、

"All Of The Lights ft. Rihanna, Kid Cudi"

 図らずも2010年代のカオスの幕開けを告げた「My Beautiful~」から3年が経過して、待望論が巻き起こる中リリースされた作品が「Yeezus」である。「Yeezus」とは、「Jesus」とKanye Westの通称である「Yeezy」の融合。つまり神宣言である。この作品が登場した時、前作を期待したファンは大きな戸惑いを感じた。何故なら色彩の暴力とでも言うべき前作の作風は消滅し、極限までミニマルに抑制され、無駄が全て削ぎ落とされた音像、突如挿入される支離滅裂なサンプリング、そしてKanyeの絶叫にも似たラップで埋め尽くされていたからである。更にはジャケットまでもが極限まで無駄を削ぎ落としたものだった。プラケースに橙色のテープ。以上。

2013年作「Yeezus」

 「My Beautiful~」は自意識に飲み込まれていたが、今作に通底するのは今にも爆発しそうな怒りだ。それは、今なお続く黒人への差別に対しての怒りであり、資本主義が支配する現代への怒りであり、自らを取り巻く状況への怒りだ。集団で騒がしく抗議を行うよりも、僅か一発の銃声を鳴らした方が圧倒的な恐怖となる。「Yeezus」はそんな瞬間が連続して訪れるような、再び驚異的な傑作となった。賛否両論こそ招いたものの、個人的には、「My Beautiful~」ほどではないにしても、他のアーティストには絶対作る事の出来ない、素晴らしい作品だと思っている。

2013年作「Yeezus」より、"Black Skinhead"

 情報過多な「My Beautiful~」と、情報を削ぎ落とした「Yeezus」。音楽性は正反対の両作だが、「ポップ・ミュージックの究極体」という側面で見ればどちらも同じ事を表現していると言っても良い。だからこそ、ついにリリースされた新作である「The Life of Pablo」には否が応でも期待が高まっていたし、それは世界中の音楽リスナーにとっても同様だった。リリースに際してKanyeらしいゴタゴタがあったが、なんとかリリースされ、現在、凄まじい数の人々がこの作品を聴いている。作品についてはまだ数回聴いただけなので言い切る事は出来ないが、「My Beautiful~」、「Yeezus」に続き、聴き手側の価値観を根底から問いかける作品である事は間違いない。

2016年作「The Life of Pablo」

 勿論、「My Beautiful~」以前の作品群も素晴らしい。1st「College Dropout」は、それまでJay-Z等のプロデューサーとして培ってきた類まれなる作曲センス、そしてちっともギャングスタではない彼自身のパーソナルな側面を世界に披露した見事なデビュー作であり、続く2nd「Late Registration」は1stの荒削りな側面を見事に研磨し、ポップ・ミュージックとしての純度を高め、Kanye Westがヒップホップ界の新たなヒーローになった事を告げた。3rd「Graduation」では、それまでのソウル/R&Bが主体となっていたサウンドから大きく歩みを進め、衝撃のDaft Punkサンプリング"Stronger"は、それまでの常識を覆し、ヒップホップに革新を与える事に成功した。しかし、輝かしいサクセスの流れから一転、4th「808's & Heartbreak」は、最愛の母を失った悲しみを乗り越えるために作られた、まさかの全編オートチューンの歌モノ作品である。4thに関しては特殊すぎるので評価が難しいが、他の作品はいずれも名作だ。単純に聴きやすいので、初めてのヒップホップの入り口としても最適だろう。

2007年作「Graduation」より、謎の日本語PVとしても知られる"Stronger"

 まだまだ書けていないことは山程ある。彼の熱心なファンであれば、余りにも内容が表面的すぎると感じるかもしれない。ただ、今まで彼の音楽を知らなかった人が、この記事から僕が彼の音楽を好きな理由を少しでも感じてもらえたなら、そして彼の作品を聴こうと思ってもらえたら嬉しい。今回の「The Life of Pablo」は、2月11日に、自身のファッション・ブランドの発表会を兼ねた全曲試聴会として、ニューヨーク最大の会場であるMadison Square Gardenで解禁され、世界中に同時配信された。新作の試聴会をMSGで行うアーティストなんて、世界でもKanye Westくらいだろう。しかし、そんなとんでもないアイディアでも納得させるだけの力を、彼は持っている。

 ところで、そんなKanye Westは、2020年のアメリカ大統領選に出馬しようとしている。一人のファンとして言わせてもらうが、そんな事になったらアメリカは間違いなく破滅するので、とりあえず音楽とファッションに専念していてほしい。

 2016年3月7日。とある英国出身のバンドが全米・全英チャート初登場1位という記録的な偉業を達成した。英国出身のバンドとしては、The Beatles、Led Zeppelin、The Rolling Stones、Pink Floyd、Radiohead、Coldplayに並ぶ快挙である。世界中のフェスティバルで何度もヘッドライナーを経験しているMuseでさえ、全米1位を獲得したのは昨年リリースの「Drones」が初めて。実に20年以上もかけて辿り着いた偉業であった。

 そんな大記録をアルバムデビューからたったの4年、2ndアルバムで達成してしまったのが、今回取り上げるThe 1975である。

 彼らは今年のSUMMER SONIC 2016に出演する事が決まっている。彼らの初来日はアルバムデビュー前の2013年のサマソニ。三番目に大きなSONIC STAGEのトップバッターとしての出演だった。その後、彼らは1stアルバムをリリースし、初登場全英1位の快挙を達成。日本での人気も高まり、翌年のサマソニでは、最大のステージであるMARINE STAGE出演という急激なランクアップを果たした。今年の1月にはEXシアター六本木でのワンマンライブをソールドアウトさせている。日本での人気も上り調子だ。

 そして、恐らく今年のサマソニを代表するアクトとなった彼らは、更に成長した姿を見せてくれるだろう。では、そんなThe 1975とはどんなバンドなのだろうか?まずは、彼らがブレイクするきっかけとなった曲である"Chocolate"を聞いてほしい。

 僕が最初にこの曲を聴いた時、「えっ!こんなにポップに振り切れてていいの!?大丈夫なの!?」と衝撃を受けた。何せインディ・ロックが(超狭い範囲で)猛威を振るう2010年代。誰もが売れ線を避ける時代に正面からメインストリームに直撃していくその姿は、一周回って新鮮に感じ、同時に頼もしく感じた。本当はみんなポップな音楽が大好きなのである。しかし、2010年代、一部のポップパンク勢を除いて、誰もがポップを避ける時代に突入した。その役割はTaylor SwiftやThe Weekndなどのポップスターが担うようになっていったのだ。日本ではなかなかピンと来ないかもしれないが、どういうわけか、海外で評価されるほとんどのバンドが超地味になったのである。

 多くのバンド連中が一部の愛好家たちが絶賛するような、難しく考え込んで良さを理解する必要のある音を鳴らし、ポップスターが10代の心を鷲掴みにする現代。一見それほど違和感が無いように見えるけれども、よく思い出して欲しい。The Beatlesも、The Rolling Stonesも、Led Zeppelinも、ライブの映像を見ると、そこには今にも発狂しそうな10代の姿があったじゃないか!やっぱりメンバーが揃って、音を鳴らして、アリーナを埋め尽くした若者たちが「ギャーーッ!!」って叫ぶバンドがいてほしいんだよ!

 その辺り、The 1975はいい感じである。フロントマンのマシューは、そのセクシーで退廃的で端正なルックスから凄まじい女性人気を集めており、先日の来日公演では、彼のうちわを作る人まで登場した。一時、Taylor Swiftと噂になったこともある。

 「ルックスなんかより音楽の話をしろよ」って声も聞こえてきそうだけど、ルックスって超大事だと思う。最近の洋楽ロックバンドって大体、文系のそこそこ良いとこの大学生で「将来は起業家を目指しています!」か、「僕たちのコミューンは、疲弊した現代社会の理想を体現しているんだ」って感じの人たちばっかりで、「俺スターになりてぇ!」って言いそうな人はめったにいない。その点、マシューなんてどう見ても「スターになりたい」感全開で好感が持てる。言わなくても分かるだろうけれど、右から二番目がマシューである。

 マシューは見ての通り、超ナルシストである。先日リリースされた2ndアルバムの邦題は「君が寝てる姿が好きなんだ。なぜなら君はとても美しいのにそれに全く気がついていないから。」である。「ひでぇ邦題だな!」と思う人がいるかもしれないけれど、直訳である。このタイトルのおかげで、彼らは「史上最も長いタイトルの全米チャート1位アルバム」という、かなりどうでもいい記録を達成した。

 そして、そんな彼らが鳴らす音楽は徹底してポップだ。1stアルバム「The 1975」の頃は、ポップとはいえどこか陰りのある空気を伴っていて、まだインディ感があったのだけど、2ndでは見事に振り切っていて、思わず踊りだしたくなる楽曲のオンパレードである。

 この曲なんて、One DirectionやTaylor Swiftにハマっている人にも届きそうなくらいメロディが磨き上げられていて、こんなにグッとくるAメロからBメロへの流れ、洋楽バンドで聴くのいつ振りだろうと思う。元々強烈に80年代への愛情を表明していただけあって、見事にその質感を掴んでいるし、でもハウスっぽいビートとか、後半のギターソロに突入した時の展開はEDMっぽい感じもあるし。凄く色々な要素が混ざっているのに、一回聴いただけで「いい!」って言える普遍的なポップソングに着地している。

 完璧にR&Bをモノにしている"Ugh!"も、大胆不敵なギターカッティングが最高な"Love Me"も、先行シングルはいずれも名曲揃い。そして、アルバムでは、これらの楽曲を織り交ぜた一つのストーリーが17曲、72分にわたって展開される。ポップとはいえ、合間にはシューゲイザーやポストロック的な楽曲もある。とはいえ、そんな過剰さも彼らの野心的なスタンスを表しているようで個人的には好きだ。実際、そのような実験的な楽曲も、彼らの持ち味である音使いが活きた見事な仕上がりで、ストーリーに色気や陰りを与えるという重要な役割を果たしている。

 The 1975は、狭いバンドシーンを超え、ポップシーンすらも侵食しつつある。One Directionは彼らに楽曲提供を求め、Rihannaはツアーの前座に彼らを指名した。ポップであることを引き受ける事に迷いのない彼らは、現代のロックシーンでは圧倒的な異物だ。2014年、彼らは英国を代表するロックマガジン「NME」の読者が選ぶ「ワースト・バンド」に選出された。でも、ウザいくらい売れないとこんな賞に選ばれる事もない。だからもっともっと売れて、嫌いな人たちを隅に追いやるくらいの存在になってほしい。全米・全英1位はまだ世界制覇のスタート地点にすぎない。

 The 1975の良いところは、ほとんどのファンが彼らに徹底的に売れてほしいと思っているということだ。そして、実際に彼らはみんなが夢中になる最高のポップソングを作って、実際に世界中で売れまくっている。かつてバンドが内包していた「野心」や「夢」を2010年代、唯一持ち続けているバンドがThe 1975である。そんな彼らが、最高のタイミングでSUMMER SONICに帰ってくる。

 断言するが、今年のSUMMER SONICで最も見るべきなのは、UnderworldでもRadioheadでもなくThe 1975だ。

...まぁUnderworldもRadioheadも超見たいけど。

 今年も数多くのバンドやユニットが再結成/再始動を果たしている。その多くが歓迎を持って迎えられていて、米国を代表する音楽フェスティバルのコーチェラに至っては、3日間のうち2日間は再結成アクトがヘッドライナー(Gun's N' Roses、LCD Soundsystem)である。もちろんどちらも大好きとはいえ、個人的にはあまりそういう動きを歓迎したくはない。やっぱり「今」を反映したミュージシャンが主役であるべきだと思う。解散や活動休止の知らせを聞いても「いつか戻ってくるだろう」と考えるようにもなってしまった。

 とはいえ、「歓迎すべき再結成」もある。それは、今の音楽シーンに決定的に足りない唯一無二の存在。「懐メロ」なんて言葉からは程遠い、今でも十分通用するような音をぶちかましてくれるミュージシャンの再始動には大いに意味がある。例えば、一昨年、14年ぶりに本格的に動き出したD'Angeloは「ファンクっぽい音」が蔓延する音楽シーンに「本気の濃密なファンク」を注ぎ込み、模倣する連中に格の違いを見せつけていた。

 さて、間もなく開催される、世界最大規模のEDMフェスティバルことULTRA MUSIC FESTIVAL。今年の大トリを務めるのは、2011年以来5年ぶりに復活を遂げるPendulumだ。彼らの公式ホームページでは、復活までのカウントダウンが進行している。

 彼らの復活がアナウンスされたのは昨年の年末。豪華な出演陣のロゴが並ぶ中、突如出現した「Pendulum Returns」の文字。その事実に気づいた時、世界中のダンスミュージックファンが歓喜した。なぜなら、EDMが蔓延する現在のダンスミュージックシーンに最も必要な存在こそ、Pendulumだからである

 Pendulumは、2002年にオーストラリアで結成された6人組のロックバンドだ。彼らの最大の特徴は、ドラムンベースやブレイクビーツを人力で打ち鳴らすという強靭な肉体性である。彼らが放出する、ダンスミュージックの享楽性とバンド演奏による暴力性を兼ね備えたハイブリッドなサウンドは、世界中のダンスフロアをモッシュピットへと変貌させた。

 彼らは日本でも厚いファンベースを築いており、2008年と2010年にSUMMER SONICのSONIC STAGEでヘッドライナー/準ヘッドライナーとして出演している。2010年、今では語り草となっているパフォーマンスの映像がこれだ。観客の盛り上がりに注目してほしい。

 今でこそ、Pendulumの意思を継いだ、ModestepやThe Qemists、あるいはEnter ShikariやCrossfaithといったバンドがダンスミュージックとロックの融合に挑んでおり、それぞれが成功している。しかし、やはりPendulumは圧倒的である。彼らが他のアクトと比べて優れているのは、ダンスミュージックとバンドサウンドのバランス感覚だ。前述したバンドはどれもバンドサウンドの凶暴性に重きを置いているが、Pendulumはその2つを最も次元の高いレベルで両立している。ダンスミュージックリスナーにとっても、ロックリスナーにとっても等しく受け入れられる存在なのである。更に、フィーチャリングとしても起用されるほどの美声を持つメインボーカル、Rob Swireが歌い上げるメロディの素晴らしさもポイントだ。

 そして彼らの音楽性は現在のEDMシーンに直結していると言っても過言ではない。Pendulumの十八番でもある、躍動するリズムパターンが印象的なドラムンベースは今でも古びることなく、SigmaやRudimentalといった新たな才能も生まれ続けている。もう一つの特徴である力強いメロディは言わずもがな、EDMの一つの特徴といって良いだろう。

 そんなPendulumのドラムンベースサイドの名曲、そしてメロディサイドの名曲をそれぞれ並べておこう。どちらも2000万回以上の再生回数を誇る大ヒット曲である。特に、"The Island"はカウントダウンのBGMとしても流れており、今回の復活のテーマソングのような存在だ。前者は10年前、後者は5年前の楽曲だが、移り変わりが異常に早いダンスミュージックシーンでも、今なお色褪せる事はない。

"Hold Your Colour"より"Slum"

"Immersion"より"The Island"

 さて、Pendulumの魅力は何よりもライブである。音源に閉じ込められた凄まじい密度のエネルギーが、生演奏によって何倍にも増幅し、フロアへと放出され、オーディエンスの身体へとブッ刺さる。このエネルギーは、ただ曲を流すだけでは絶対に生み出す事が出来ないだろう。だからこそ、オーディエンスは我を忘れて熱狂するのだ。印象的なのは、彼らのベストパフォーマンスとも言われる2009年のグラストンベリー。今まで沢山の同フェスの映像を見てきたけれど、ここまでオーディエンスが沸騰している映像はなかなか見る事が出来ない。だからこそ、2011年の出演が彼らの活動休止のきっかけとなってしまったのは悲しかった。詳しくは調べてみてほしい。

 さて、活動休止したPendulumが2011年以降全く姿を見せなかったのかというと、そんな事はない。活動休止以降、中心メンバーだった2人がKnife Partyと名乗り、EDMの第一線でダンスミュージックプロデューサーとして活動を開始したのだ。この展開にはファンも大いに驚かされた。Knife Partyのサウンドは多岐にわたるが、やはり特徴的なのはPendulum時代から受け継がれてきた超凶暴なベースミュージックだろう。人気曲"Bonfire"では、ドロップでSkrillexとタメを張るレベルの凶暴なブロステップを味わう事ができる。

 Pendulumファンにとっては割と複雑ではあったのだが、Knife PartyはPendulum以上に成功した。EDMフェスティバルではメインステージ常連、昨年のElectric Zoo Tokyoでも準ヘッドライナーとして来日を果たしている。Pendulum時代よりもずっとずっと巨大なステージでプレイしてきたのである。僕も、Pendulumが恋しいとはいえ、Knife Partyも超カッコ良いからまぁいいのかなという気分になっていた。

 しかし、加速していくEDMの商業化/テンプレ化。ミックス済みのセットリストをUSBに突っ込んで、ただボタンを押して再生するだけで数億単位のギャラを稼ぐDJ。テンプレのメロディ部分だけを変えたような、量産型の楽曲。開き直ってほとんどDJ卓に触れる事なく、その代わりにケーキを投げまくるSteve Aokiといった具合に、ダンスミュージックが本来持っていた肉体性がどんどん失われていくシーン。そして、日常を忘れるための音楽だったはずのダンスミュージックが、今やパリピのBGMとしてコミュニケーションのツールとなった状況。そんな商業主義の動きを破壊するような存在が必要だ。それも半端じゃないパワーを持った存在が。

 そんな現状を意識したのかどうかは分からない。ただ単に、また始めたくなったのかもしれない。しかし、やはりそこに何か意味を見出してしまいたくなるのがリスナーの性である。だから言い切るが、今のEDMを象徴する存在であるULTRA MUSIC FESTIVALの大トリとして、ダンスミュージックに肉体性を取り戻すべくPendulumが復活する。果たして彼らは、ダンスミュージックに再び革命を起こすのか?それとも巨大化したEDMに飲み込まれてしまうのか?その答えはもうすぐ分かるが、これが一つのターニングポイントになるのは間違いない。

 3月21日(月)午前10時40分から、ULTRAの公式ホームページ上でPendulumのステージが中継される。是非見届けてほしい。

[3/25追記]

 この記事を書いてすぐに、本当にPendulumは復活した。何はともあれ、実際の映像を見るのが一番早い。是非、なるべく大きな画面で、なるべく大きな音で聴いて欲しい。

(0:00~37:10:Knife Party、37:10~:Pendulum)

 ハハハ、超カッケェ。前半のKnife Partyパートは勿論攻撃的でアガりっぱなしだし、その後のまさかのRage Against The Machineのトム・モレロ投入で人力"Bonfire"という衝撃展開も痛快だ。Pendulumパートに入ってからは、もう言うことないだろうこれは。観客もULTRAのノリとはいえ、どんどん頭のネジが外れていってるのが良く分かる。後は早くこのステージを日本で見れれば・・・、

 いや、寝るなよ。頼むよ。